脳動静脈奇形 闘病記録

2度の脳出血 後遺症と闘いながら 生きてるうちはパンを焼く!

自己紹介 その2

 

パン作りに夢中になっていく日々の中、

体調は次第に悪化していく。

 

二年ほど前から急変し、

激しい頭痛や熱がしょっ中で、

普通の日常生活が送れない。

 

本格的にパン屋で修行したいとは何度も思ったが、パン屋などの肉体労働には健康が第一なので、病気持ちで体調が不安定な私は尽く断られた。

 

特に一年前から体調はますます急変し、

何度も病院に救急搬送され、寝たきりで食事も取れない日々が何ヶ月も続いた。

 

何度かCTやMRI検査をするも

その時は脳に出血は無く、

手術や治療などの処置はとれなかった。

 

しかし今年の3月、約一年ぶりにMRIを撮ると、脳内出血していたことが判明する。

それも直近ではなく、画像を見る限り出血してから何ヶ月かは経っているらしい。

 

9年前に最初のくも膜下出血をして以来の再出血。

道理でこの一年こんなに苦しかったわけだ、と、ショックではあったが自分としては分かりきっていたというか、腑に落ちる結果だった。

 

その後入院して、カテーテル検査などでより精密に脳の中を調べているが、

やはり手を出すには難しい場所とのことで、

開頭手術には簡単に踏み切れない。

 

開頭手術には大きな危険が伴い、

たとえ手術自体は成功したとしてもなにかしら後遺症が残ってしまう。

取り除く場所が脳の側頭葉であることから、

言語には少なからず障害が残る、と伝えられた。

その他にも片麻痺視野障害意識障害、嚥下障害など、

数えきれないほどの障害のリスクがある。

 

とは言っても、開頭手術で摘出しなければ再々出血の確率も高くなる。

脳出血は再出血すると死亡率が高くなり、

さらに一度目の出血が20代の頃となると、

その後の平均余命は10〜12年らしい。

 

私は最初の出血から9年が経ち、今年の冬で10年になる。

大きな出血は命に関わり、その時は即手術にはなるが、今の状態でどちらを選択するかは簡単ではない。

 

そうなると、現実を受け入れ、

生きている間の限りある時間を大切に、

自分にいまできること、

やりたいことをとことんやっていかなくては、

と思う。

 

たとえ苦しい日が続いても

日常にちいさな幸せを見つけて

感謝の心をいつも忘れずに。

 

まずはパンを焼き続けたい。

そしてゆくゆくは、

どんな方法であれ、

少しでも多くの人に自分が焼いたパンを食べてもらいたい。

 

いまはその為の方法を模索中。

 

 

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自己紹介

 

平成元年生まれの現在34歳、

脳動静脈奇形という先天性の病気で闘病している。

 

数十万人に一人の脳血管障害と云われるが、私の場合は障害の程度が重度のレベル5で、数百万人に一人、あるいはもっと少数らしい。

幼少の頃から頭痛に苦しみ、15歳の時に救急搬送先の病院でMRIを撮って初めて判明した。

 

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それから数年はてんかん発作が多く、激しい頭痛は年に数回程度でなんとか普通に生活していたが、

9年前、25歳の時に最初の脳出血くも膜下出血)を起こす。

 

当時私はロックンロール、ブルース、ソウルミュージックに傾倒し、

ロックバンドを組んで歌っていた。

出血した日は大事なライブの当日で、リハーサルの最中だった。

 

搬送先の病院の脳外科医によると、出血した場所があと少しずれていたら即死だったらしいが、幸い一命をとりとめた。

 

出血点、原因である脳血管障害の場所はとても手が出しにくく、

開頭手術は危険であったため、カテーテル手術(コイル塞栓術)で対処。

 

その後は陽子線治療(放射線を頭部に当てて脳の危険な箇所を壊死させる)、

一年後に再びカテーテル手術(足の付け根から管を通して、全身麻酔をかけ、出血の危険があるところをコイルでクリッピング)を受ける。

 

そんな状況下でも当時の私は歌うことをやめたくなかった。

ロックンロールでブッ飛ばし、自分を表現したかった。

いま思えばとても視野が狭く、盲目的だったのかも知れない。

自分ではどうにもならない自然の法則に抗い、反骨心の塊のようになっていた。

 

やがて肉体的にも精神的にも限界になり、

果たして自分はこんなに苦しんでまでこれがやりたいのかと問いかけたとき、

のしかかっていたモノがふっと肩から降りた。

 

自分が本当にやりたいこと、

いちばん夢中になれること、

生きる源になることは、パンを焼くこと。

 

パンが焼きたい。

気付けばそうなっていた。

昔から何かを作ったり、表現することが好きだったので、

歌をうたうことからパン作りへと表現の仕方が変わっただけ。

 

当然パンを焼くのは楽なことではない。

体力がいるし、力を入れるのは脳への影響もかなりある。

 

それでも、夢中になれることがあるというのは

生きることへの何よりの原動力となる。

 

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続く

 

 

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