脳動静脈奇形 闘病記録

2度の脳出血 後遺症と闘いながら 生きてるうちはパンを焼く!

自己紹介

 

平成元年生まれの現在34歳、

脳動静脈奇形という先天性の病気で闘病している。

 

数十万人に一人の脳血管障害と云われるが、私の場合は障害の程度が重度のレベル5で、数百万人に一人、あるいはもっと少数らしい。

幼少の頃から頭痛に苦しみ、15歳の時に救急搬送先の病院でMRIを撮って初めて判明した。

 

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それから数年はてんかん発作が多く、激しい頭痛は年に数回程度でなんとか普通に生活していたが、

9年前、25歳の時に最初の脳出血くも膜下出血)を起こす。

 

当時私はロックンロール、ブルース、ソウルミュージックに傾倒し、

ロックバンドを組んで歌っていた。

出血した日は大事なライブの当日で、リハーサルの最中だった。

 

搬送先の病院の脳外科医によると、出血した場所があと少しずれていたら即死だったらしいが、幸い一命をとりとめた。

 

出血点、原因である脳血管障害の場所はとても手が出しにくく、

開頭手術は危険であったため、カテーテル手術(コイル塞栓術)で対処。

 

その後は陽子線治療(放射線を頭部に当てて脳の危険な箇所を壊死させる)、

一年後に再びカテーテル手術(足の付け根から管を通して、全身麻酔をかけ、出血の危険があるところをコイルでクリッピング)を受ける。

 

そんな状況下でも当時の私は歌うことをやめたくなかった。

ロックンロールでブッ飛ばし、自分を表現したかった。

いま思えばとても視野が狭く、盲目的だったのかも知れない。

自分ではどうにもならない自然の法則に抗い、反骨心の塊のようになっていた。

 

やがて肉体的にも精神的にも限界になり、

果たして自分はこんなに苦しんでまでこれがやりたいのかと問いかけたとき、

のしかかっていたモノがふっと肩から降りた。

 

自分が本当にやりたいこと、

いちばん夢中になれること、

生きる源になることは、パンを焼くこと。

 

パンが焼きたい。

気付けばそうなっていた。

昔から何かを作ったり、表現することが好きだったので、

歌をうたうことからパン作りへと表現の仕方が変わっただけ。

 

当然パンを焼くのは楽なことではない。

体力がいるし、力を入れるのは脳への影響もかなりある。

 

それでも、夢中になれることがあるというのは

生きることへの何よりの原動力となる。

 

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続く

 

 

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